クソの言い訳。

なぜか幸せ。なぜなのか知りたくて。

何も変わらないのに何かが変わった高校時代

 

幼稚園→小学校→中学校

何一つとして美しい思い出がない。

 

それもこれも自分がまいた種。

 

ならなぜそんな種をまくような人間になってしまったのか?

 

家が大嫌いで

父と母が夫婦喧嘩を始めると最終的に決まって父が母に手を出すので

私が止めに入る。

もちろん火種はこちらに飛んできて私が殴られ、首を絞められるのがお決まりのパターン。

私は父に言う

「止めて」ではない

「触らないで」と。

 

ある時は朝、台所で母の首を絞めている父を見たので

とっさに自転車のヘルメットをグルグルと振り回して父を殴った

もちろん私が首を絞められ学校へ向かう時間がくる。

 

一歩外に出るとすぐに気持ちは切り替わった。

だから学校が好きだった。

 

 

でも

 

私は幼い時に父と母がセックスをしているところを何度もそばで感じていたために

母に距離を置くようになって

身近な人とコミュニケーションをとって来ず

幼稚園も父の仕事がダメになってこっちに引っ越してきた為

なじめずにいつも一人だったし

 

そのせいでなのかな?

 

人へのおもいやりが壊滅的に出来なかった。

あと、良いなという思いが妬みとして相手に牙を向けていた。

 

だから中3のときの地獄は自分がまいた種だから仕方がないと

本気で思う事が出来ていた。

だからってゴメンナサイでハッピーエンドはやってこないことも分かっていた。

 

 

でも高校に進学して少し変わった。

仲良くなった女子たちがとても素敵で

妬んだらもったいないって思った。

みんな素敵だなーって思うようになった。

それだけ一緒にいて楽しい仲間に出会えた。

高校時代は宝物だ。

 

 

高校時代の家の中も少し変った。

母に休みが出来るようになった。

今までずっと昼夜ずっと働いていた生活だったから

内心では安心した。

でも

それを母に伝えるようなコミュニケーションの取り方が分からなかったから

心の中で思っていただけ。

 

父は住み込みで働きに出るようになったので

週に2日だけ家にいる。

いない日は家の空気が軽かった

 

 

私が父と母のあの嫌悪感で胸糞気持ち悪くなるセックスを知らなかったら

きっと母の言葉を

もっときちんと聞ける人間になっていただろう

 

それと

「おかぁさん おかぁさん 聞いて聞いて  あのね~・・・」って

沢山の話をしていただろう

笑って会話することもあっただろう

 

ほんと今1歳の我が子を育てながらそう思う。

 

少なくとも

母が死んだときの気持ちがもっと違うものになっていたかもしれない。

 

母が死んだときの気持ち

「わたしが殺したようなものだ」

「父のせいで死んだんだ」

この二つが渦巻いて

真っ暗闇の日々だった。

 

 

とにもかくにも

家での私は何も変わらないのに何かが変わった高校時代