クソの言い訳。

なぜか幸せ。なぜなのか知りたくて。

死んだ時、流す涙の1つ位・・・part1

4人兄弟で末っ子の一人娘なので

とても甘やかされて育っていたと思う。

基本的には。

 

3歳くらいまでは自営で金持だった

父の仕事がダメになって4歳の頃こっちに引っ越してきた。

 

6畳が2つ4畳が1つ4畳の台所がある小さい平屋。

そこに6人家族。

 

自営で成功していたころ

父はたびたび旅行へ行ってはキスマークを沢山つけて帰って来ていたそう。

女とギャンブル。

基本のダメ人編スキルは身に着けていた。

 

私の土曜日のリビングはパチンコ店の休憩室だった。

おぼっちゃま君は毎週そこで見ていた。

日曜日の遊び場だってパチンコ店だったな

もしくは母の職場か自宅

 

母のことは自由を奪い

常に仕事をさせていた。

 

一番上の兄は運動会の時、両親が来ないのはもちろん

父が母に弁当を作る時間も与えなかったため

菓子パンを数個持たされて一人で食べたそう。

 

成人してから聞かされた話だと

こっちに引っ越してくる時

養う事が不可能だからと

中学生の兄2人と幼稚園児の私を施設に預けようとしていた。

母がそれだけは止めたらしい。

 

私の物心がついたころには

父は両目が見えなくなっていた

なぜだか未だに良く分からないけど

それでも自分の店の商品を作っていたのだから

そこはすごいことなんだと思う。

 

小3の頃

心臓を悪くして倒れた

 

心臓も目も悪いのに働いていた

そこはすごいんだと思う

 

こっちに越してきてからだろうか?

父が母に暴力をふるうようになっていた

 

兄がコツコツ貯めた10万円がなくなった。

 

一度もそんなことした事ない父が

たまたま兄の部屋の兄の布団だけを干してあげたそうだ

それで布団の下に潜ませていた10万円が飛んで行ってしまったんだろう

という父の話。

 

兄は頭がよくて大手の企業に就職した。

兄はよく金を貸してほしいと土下座されていたそうだ。

 

自分より下だと思う相手には

常に命令口調で、気に入らないことがあると

大きな声を上げる

 

買い物に行って店員の態度が気に入らないと

やはり

大きな声で店員を怒鳴っていた

私はそれが嫌だと感じた

 

両親の帰りは遅く、一人でいることが多かったので

一人でテレビを見ている時間が何より幸せだった

 

日常的に父と母が喧嘩をして

父の罵声と大きな物音がするので

ある日、

家中の窓を閉めて回った

「くだらない喧嘩、外に人に聞かれたら恥ずかしいから」

それでしばらくたってもまだ喧嘩しているので

今度は家中の窓を開けて回った

「くだらない喧嘩、くだらなすぎるから外の人に聞いてもらえばいい」

そして

「子供は黙っていろ」と言われる。お決まりだ。

だから私は

「子供が口出すほどくだらないんだよ」と言うと

私への暴力が始まる。

なにより触れられることが我慢ならなかった。

 

母と連絡が取れなくなると

携帯の着信履歴はすべて父

それでも出なければ

職場に電話をする。

 

急用ではない。

自分がその時思いついたことを

思いついた時に話さないと気が済まないからだ。

 

父はお金もないのに人にお金を使うのが好きだ

お金を払えば言う事を聞いてもらえると思っている。

 

だから私もお小遣いは良く貰っていた。

いつしか私はその小遣いを

「娘でいてやるための我慢賃」

 

 

 

そんな10代