クソの言い訳。

なぜか幸せ。なぜなのか知りたくて。

いじめっ子だったんだ

こっちの幼稚園に来てから友達なんていなくていつも一人だった。

明確に無視されていた。

 

 

幼稚園の年長さんの頃

土曜日は親戚の家に預けられてた

すると

同じ幼稚園の女の子Aちゃんが近くに住んでて

何かのきっかけで

遊ぶようになった。

 

嬉しかった

 

小学校に上がり同じクラスになった。

 

嬉しかった

 

他にも遊ぶ友達ができた

 

嬉しかった

 

みんなで遊ぶようになった。

 

 

そんな時

Aちゃんがトイレに行きたいと言った

 

軽い気持ちでダメって言った

 

みんなもダメって言った

 

結局Aちゃんは外でオシッコした。

 

Aちゃんが大好きだった。

遊んでくれることが嬉しかった。

 

なぜトイレをダメと言ったのか

 

その後Aちゃんは膀胱炎になって

それから学校にも来なくなった。

 

なぜ学校に来なくなったのか

当時の私は分からなかった。

 

同じ頃

私は風邪で学校を休むと必ず翌日から

みんなに無視されていた

 

無視される原因が思い当たらないと思っていたけど多分、私も同じ事をしていたんじゃないかな。

 

学校の給食が嫌でお昼頃になると具合が悪くなり37.5度の熱も出たので毎日のように早退してた。

 

私はもしかしたら

Aちゃんの人生を狂わせてしまったんじゃないだろうか。

トイレダメって言った以外何かしたのかもしれない。

 

きっとAちゃんは何をされたか覚えてるんじゃないかな。今も。そしてソレらが原因で今も生き辛い日々を送っているのかな?

 

最近、娘を連れて近所のスーパーに行った時

Aちゃんのお母さんがいて

目が合った。

その目は殺意にも似た恐ろしい目だった

 

気のせいかもしれないけど

 

気のせいじゃないかもしれない。

 

私のせいで

娘にその目が向いてしまったらと思うと怖くて仕方がない。

 

それと同時に申し訳ない気持ちで胸が張り裂けそう。

 

では、どうしたら良いのだろう

 

謝りに行くのかな

どうしたらいいんだろう

 

 

勘違いで

いらない傷を広げてもいけないし

 

 

そんなこんなで

 

中学に入っても

最終的にはみんなに無視されて1人だった。

 

当たり前だ。

 

本当にクソ以下な人間だった。

 

 

だから

こんなクソみたいになって欲しくない。

娘には。

 

 

 

殴られるよりくすぐられるほうが辛い

双子の上の兄の方は真面目で厳しかった。

私と9歳はなれており

掛け算ククを覚える小学校二年生の時は

7の段と4の段とか苦手だったので

双子の上の兄は事あるごとに

私に掛け算を1の段から言わせた。

間違えると殴られた。

なんども同じところで間違えると

なんども殴られた

同じところを何ども殴られるので

とても痛かった

最後には

上に乗られてくすぐられた。

くすぐられると息ができなくて苦しくて

殴られているほうがマシだった。

 

理由は覚えていないけど

事あるごとに殴られていたっていう記憶はある。

 

 

ある時は母に追い出されて

『開けろ!!!!』と外で叫ぶ兄の言うことを聞き、開けたら殴られた。

 

何故かは覚えていないが

全裸にされて真冬の外に出されて

正座させられた。

 

その時は母がしばらくしてから

私を抱えてお風呂に運んだ。

 

ある時はハンガーで殴られまくって

翌日はミミズ腫れが至る所に。

友達には『縄跳びの練習のしすぎ』と言い訳した。

 

そー言えば

その兄のしつけ?で私は8時には寝なければいけなかった。

土曜日だけ

暴れん坊将軍だけ観て寝る事を許されていた

 

毎日がとても苦痛で

布団の中にこもって泣いていると

息が苦しいので

『このまま死にたい』と願うことが良くあった。

 

それはその兄によるものなのか

父によるものなのか

あるいは両方かもしれないが

自殺という言葉さえ知らない頃から

このまま死んでしまいたいと思うことが多かった。

 

もっと言えば

その兄が死にますようにと願うことも多かった。

 

だから

 

本当に自殺して死んだ時には

 

 

私の願いが叶ってしまったのだと

本気で思った。

 

裸で外に飛び出して大声で『助けて』と叫ぶ園児

たぶんこっちに越してきて間もない頃。

そーだ。

まだ父と兄はあっちで生活していたから。

そーだそーだ。

 

3歳くらいの時

あまりにも双子の喧嘩と素行が悪くて。

特に強い方の兄は真面目だったから余計に引っ越してきて馴染めなくてグレたんだろう。

 

双子の兄の強い方が何かをしようとして

母はソレを必死で止めてて、

目に青あざ作りながらそれでも必死で止めようとしてて

そんな中

私はお風呂に入るために全裸になっていて 

浴室へ進もうとしたところで

玄関の外で引きずられながらも双子の兄の強い方を引き止めていて

ふと見ると母は鼻血を流していた。

 

私は怖くなった。

 

家を飛び出していく兄

道路までは追ったけど力尽き泣いている母

私は裸のまま外へ飛び出して母に駆け寄り

まだあっちの県に住む父に助けを求めるために

大きな声で何度も何度も

『おとーさーーーん おとーさーん』と叫んだ。

声が届くわけもない。

 

今思えば小さい平屋の貸家の住宅街だから

みんなに聞かれてたな。

 

それもこれも、

横柄な経営をして借金作った父が悪いと

思ってる。

ナイフとフォークは包丁に勝てない

わたしの兄は双子。

世代としてはツッパリハイスクールロックンロール。

 

こっちに転校したのを機に

ガラが悪くなり

兄弟喧嘩ばかり。

『俺の靴下履いたんじゃねーよ』

ってだけで

首を絞め、よだれ鼻水涙でボロボロになってた。

双子の1人はレスリングとかやってたから強い。

 

ある日、

それは双子の誕生日。

その日はステーキだった。

夕食終わりにいつのまにか喧嘩してて

わたしのいる部屋は家の行き止まりだったので

弱い方の兄がフォークとナイフを武器に追い詰められているのが見えた。

こっち来るな!と叫んでいた。

すると

扉の端に包丁が見えた。

 

幼いわたしでも分かった。

(ナイフとフォークでは包丁に勝てない)と。

 

双子の強い方の兄が恐ろしくて仕方なかった。

 

万引きは悪いことだと教えて下さい

こっちに来て覚えていることもほとんどない。

あるとすれば

『このハムスター噛むんだよぉ〜〜』と

ある女の子に言われて、カゴに手を入れてみたら噛まれて流血

 

隣のクラスの男の子に手の甲舐められた

 

お泊まり保育で朝起こされてトイレに行った

 

いじめっ子が2人いたけど

なぜか1日だけ遊んでくれた

 

土曜日だけ親戚の家

 

 

 

 

あたし、

笑って過ごした記憶がほとんどないけど?

 

 

そして何より万引きについて。

 

生まれた土地ではお店をやっていたし

親戚がスーパーやっていたし

好きなものを取って食べてよかった。

好きなものを店から持ってきて食べるのが当たり前だった。

 

こっちに越してきて

欲しいものをポッケに入れて店を後にして

母に何これ?と聞かれて

店に返しに言ったことがあった。

 

正直

なぜ、ダメなのかがイマイチわからなかった。

 

 

母さんが悪いんじゃない

子供に時間を避けなかった

四六時中自分の横で働かせていた父が悪い

 

それとも

 

怒られたり教育されたことは

記憶にないだけかな?

 

 

楽しい記憶って普通残ってるものなのですか?

3歳でこっちに引っ越してきた。

だからほとんど記憶にない。

覚えている事に

楽しかったものもない。

 

幼稚園では

牛乳を口からこぼして以降お弁当も幼稚園で食べれなくなった事

 

 

先生に両耳持って持ち上げられてロッカーにつれていかれた事。

 

2つ上の幼稚園のお兄さんに『つんつん』ってすると追っかけてきて、抱きしめられてそれを振りほどく遊び。

ある日、逃げ場がなくなって首を舐められた。

そのお兄さんが小学校に上がったら

お話ししてくれなくなった事

 

家では

夏にタライの中で水遊びした事

 

石像に追われる夢を見た事

 

楽しい記憶として残るものは無い。 

 

母と〇〇したって記憶はマジで無い。

家族と何か楽しい事した記憶はマジで無い。

というか、思い出せない。

そんなものなのかな?

 

 

 

子供が寝てる横で ヤるな。

誰かに聞いてほしいけど

こんな話人に言えません

ツイッターで誰に聞いてほしいでもないことを吐きまくってたけど

良く会う友人に特定されて

発言を選ぶ時も出てきた

 

どこかで毒を吐かなければ!!

って事でここを開設。

 

私の母は育て方を間違えたのか?について。

その前に母さんひとつよろしいですか?

 

私、気がついたの。むしろ思い出したって感じかな

 

 

そもそもの親子関係で一番やってはいけないことをやってましたよ母さん

 

それは

 

子供が寝ている横で父と夜の営みしてた事。

 

 

あれは

生まれた土地に住んでいた頃だから・・・

2歳を迎えるか迎えないかの頃

ソレが何かなんて知らないくても

声がいつもと違うし、なにか気持ち悪かった。

ベッドもリズムよく弾むし

2歳迎えてもない頃?の記憶なのにこんなに覚えてる。

あまりにも耐えられなくて

布団越しに足を伸ばして蹴ってやった。

「なにやってんのーーーーー」と。

もちろん寝た振りでごまかされたけど。

 

母が母ではないと感じた

 

 

 

・・・・今でもこうして思い出せばあの時の感情も思い出せる。

一回じゃない。

何度も何度も私はそれに耐えた。

 

朝になって「昨夜はなにしてたの?」と聞くこともしなかった。

それを超えて心に穴が空いてしまったから。

 

でも、ソレに気が付いてしまった時は

布団越しに足を伸ばして蹴ることは止めなかった

 

 

気持ちが悪いから

 

 

それからだと思う。

だから2歳やソコソコの頃から母に甘えることができなくなっていたんだと思う。

 

私が母に口をきくのは

なにか欲しいものがある時だけだったと思う。

 

「おかぁさん聞いて聞いて、あのね、今日ね幼稚園でね・・・」

なんて一度も言ってない。

 

「これ欲しい」「これ食べたい」「これ買って」「これやりたい」「やだ」

 

こんな感じのことしか言ってなかったような気がする。

 

もう38年くらい昔のことだからもしかした普通の母子のような会話をしたことがあるかもしれない

が、記憶ない。

 

いつしか

 

 

自分が子育てを始めてをはじめて

私と母のような関係にならないようにするにはどうしたら良いか?を考えていたら

このことに気がついた。

 

でも

夜の営みとは母一人で出来ることではない。

 

そう。

なによりも憎み大嫌いである  父

 

この存在こそ私の闇の根っこと言える

 

 

・・・・気がする。